誰か |
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つぶやき |
こういう時にこそ利用するべきものだろうが("誰にも想ってもらえないあなたのことを想って寝ます")、今はちょっと直に人がそこにいるのだと感じたい。
そこにいる誰か、ちょっと反応してくれ。
誰かが確かにいるのだと、それを確かめたいだけなんだ。誰か。
Re: お腹も壊れた
微妙な気分 |
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つぶやき |
Bという作家のファンのAという人物がいる。Aも文章を書くが、何を書いてもBの書いたものの焼き直しという感じになる。しかもBの作品の水準からは程遠い。
ただ知ってるだけというだけでも、読んでいて何となく微妙な気分になるのに、これを有り得ないにせよBが見たら、もっと微妙な気分になるんだろうなと、そう思っただけの話。
魂を削って、内臓を吐き出す思いをしなければ、創造というものはできないと思っているわけではないが、そうやって何かを生み出している人には、敬意を払いたい。
世辞を言われて世辞を言うなと言いながら、ほんとうは世辞とは相手は思っていないだろう状況に、世辞を言わざるを得なかった人を気の毒だなと思う。
まったく曖昧な言葉も、むやみに具体的な言葉も、どちらも世辞だと思って間違いないと、口をひん曲げながら思う。
ちょっと気になる |
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萌 |
例の、あなたのことを想ってますサービスの人。
http://d.hatena.ne.jp/kejinan/
"インターネットとは人間のコミュニケーションを増幅させるインフラであってコミュニケーションができない人間を救うものではそもそもない!"
確かにそうだな。思っていたが、具体的に言葉にしたことがなかった。
↑からたどり着いた、何かちょっと興味深そうな人。
http://d.hatena.ne.jp/mock_on/
↑からたどり着いた、鬱関連のページ。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/ramirezi/index.htm
はてなは、見た目を自分でいじれれば、かなり理想に近い見かけになりそうだな、と思った。
普段、まるきり漂わない辺りにたどり着いて、ちょっと何だか面白いと思ってる。
自分の頭の中身なんて、どこにでも転がる、ほんとうにただの石ころみたいなもんだ。そしてその石ころと、同じ色だとか同じ重さだとか同じ形だとか同じか角っこだとか、同じ岩からできた石だとか、そういうことがある不思議。
世界は、何だかんだと不思議に満ちている。それが面白い。
テトという子(すでにもらわれ済) |
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萌 |
某ブログからお気に入りだけ抜粋。画像はうまくリンクされるかな。
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/o/c/mochamugi/3320071023.jpg
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/o/c/mochamugi/11120071009.jpg
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/o/c/mochamugi/222200710101.jpg
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/o/c/mochamugi/5520071028.jpg
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/o/c/mochamugi/9920071028.jpg
http://blog-imgs-11.fc2.com/m/o/c/mochamugi/33200711116.jpg
Re: インスタントチャットルーム
いいなこれ |
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最初、何が何だかわからなかった。
説明読んで、だから?と思って、記事に戻ってやっと理解。
こんなものがあるのか。面白いな。今度誰かを誘ってみよう。
これだと出先でソフトとかなくてもいいし、気楽だな。入力した分は、一体どのくらい保存されるんだろう。
本来は、プレゼンとかの生で直の反応を見たいとか、そういう目的で使うらしいが、シンプルに簡易チャットでいいんじゃね?という感じだな。
シンプルさが気に入った。面白いものをありがとう。
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誰にも想ってもらえないあなたのことを想って寝ます、の記事もおまえさんか。
やめろよ、泣いちゃうだろ。今度やってみたい自分がいて怖い。
こういうのがあるよって、知っておくのも大事なんだろうな。これもありがとう。
Re: マイノリティ
空気嫁 |
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自分の判断が正しかったのだと証明されて、残念ながら、悲しい淋しい思いをすることがある。
ある人と出会い、意気投合し、わりと短い時間で親しくなる。その時間の短さと勢いに、ちょっとブレーキをかけたい自分を発見する。
なぜ、もっと親しくなるのを怖がるのか。なぜ、そこで止まってしまおうとするのか。知人から一気に友人になり、さらに親しい友人となって(と、少なくとも自分はそう思って)、それを喜ばしいと感じているのに、心のどこかでちょっと待てとも思う。なぜなのか。そのなぜ、を解明しようと、自分の中を覗き込む。
そして見つかるのは、その人を、まだ100%には信頼はしてない、心を開いていない自分だ。
その人は、どうやら言動によれば、こちらを信用してくれている、あれこれいろんな方面に話題を振っても大丈夫だと判断しているらしい、かなりプライベートなことや、他では確かにうっかり口には出せないだろうことも話してくれている。
そうやって心を開かれて、うれしくないわけもないし、そうなればいっそう、ふたりの間の会話は、そこからどこへも行かないと、口を固く閉じることを、普段よりもいっそう強く誓う。誓わなくても、そもそもそんなにべらべらあれこれ話せる親しい友人が、数多くいない、というか、いないのだ。ほぼまるっきり。
口にすればたちまちうそっぽくなるから、普段はまず言わないが、口は固い。ここだけの話と言われなくても、ほとんど他へ漏らすことを、滅多としない。漏らす先がないという現実はともかくも、いわゆる他人のことを話題にするということが、あまりない。そういう会話に慣れていない。
だから、その人があれこれと語ってくれることを、基本的には全部自分の中に飲み込んで、それはそれだけで完結していた。
そうやって、その人が自分に向かってどんどん自分を開いて行く一方で、その人に対するわずかな違和感を、どうしても消すことができなかった。
もっと親しくなれば、きっと互いの違いに嫌気が差すだろう、という予感。今現在の、親しくはあるけれど、現実の生活にはまったく関わりがないという物理的距離が、結局はちょうどいい間隔なのだと、そう思う自分がいた。
だから、あちらがどんどん親しみを増してゆくのを目にしながら、自分の方には必ずブレーキをかけていた。これ以上は、今とは別の次元で親しくなることは、避けておいた方がいい。でなければ、今見ている互いの素晴らしい部分にも、嫌気が差す結果になるという、予感。
簡単に言うなら、「失望される/するのが怖い」ということだ。
好きなことしか語らないが、たまには嫌いなものの話もする。嫌いなものの話を自分からするのは、ほんとうに、腹を割った相手にだけだ。
前述の人が、ある苦手なものという話を始めたので、話題に乗った形で、あることを言った。その場だけの話だろうと、そう思っていたし、会話の流れを思い出すと、「ここだけの話」という前置きがくっついていたような気がする。もちろん、ただの枕詞だと言われてしまえばそれまでだ。いくら自分が、その枕詞を常に真摯に受け止めて、口を固く閉じているのだとしても、そんなことは相手の知ったことではない。
ただの枕詞なのだと、読み取れなかった自分が悪い。
そのあることが、いちばん聞かれて困るところへ、その人の口から漏れた。
漏れた先のフォローを始める以前に、あーあやっちまったと思う自分と、あの違和感はこれだったのかと思う自分。
その人は、悪意があって漏らしたわけではない。むしろ、こちらの立場を思いやってくれた上での行動だ。それが理解できるから、余計に、その人をどうしても100%信頼できなかった自分の判断に、100%正しいから信じろという評価を与えられなかったことに、失望している。その人自身の行動の結果にも、失望している。
言いたいことは山ほどあるが、ほとんどのことは、わざわざ口にするほどのことでもない。口にした後に起こ得ることの煩わしさと比べれば、黙っていた方がたいていは精神衛生にいい。
だから、たまに、ほんとうに伝えたい先には伝わらないように、愚痴というものをこぼす。
愚痴は、ほんとうに信頼している人にしかこぼさない。この信頼している人、というところで、判断を誤ったのだという話。
伝えたい先に伝えないことを選択しているのは、伝えたい先が、伝えたいことをきちんとは受け取らないだろう、こちらが伝えようとしているようには受け取らないだろうと、そう判断するからだ。
そう判断して、わざわざ伝えないと決めたことを、伝えたくない先に伝えられてしまった。それをそう伝えたら、こういう風に反応するだろうなと、思ったままのことが起きた。
何もかもすべて、人格否定と批判と中傷としか取らない/そして世界の終わりのように落ち込む姿を見せびらかすタイプの人間に、「あなたのやっているこれこれのことは、正直やめて欲しいなと思ってます」なんて面と向かって言わない。それが大したことではないなら、我慢する方を選ぶ。めんどくさいからだ。
そんな人間との付き合いなんて、すっぱりやめてしまえればいちばん気楽だけれど、世の中のしがらみというのは、なかなか難しいものなわけだ。
相変わらず人を見る目がない、そして、そんな下らないしがらみから抜け出す力のない自分に、嫌気が差す。
安らぎ |
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つぶやき Reply |
ここでわざわざ人に絡むのが正しいやり方なのかどうか、いわゆる空気を読めてない気もする。
が、絡んだ内容を、個人的な攻撃と取られずに、ひとつの意見として、きちんと受け止めてもらえそうだと言う、胸のときめきのようなものを止められない。
反応欲しいわけではないただの吐き出しや、ひそかに反応が欲しいと思ってるあれこれや、そんな混在がするりと受け入れられてるような気がするここで、ひとり安らいでいる。ありがとう。
追記
ふと思ったが、日本人は沈黙を金とするという国民性もあったな。
自分の頭の中を、「あえて晒さない」という選択をすることを美しいとする文化だった。
黙っていることを、「無知と無能の証」とする文化と、「慎ましい、謙遜の人」と思う文化と、残念ながら説明なしにはわかり合えるはずもないか。
それでも日本で育った日本人としては、わざわざ語ることをしない謙遜の態度を、極めて美しいと感じる。
Re: なぜ、日本人は議論ができないのか
しないとできないの違い |
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Reply |
議論とは、意見を交し合う間に、別の(より良いと思われる)意見にたどり着くか、どちらかの意見に、どちらかを納得させるためのものだと思う。
現実的には、「相手を納得させるために」、意見そのものの質や正しさよりも、手っ取り早く自分の社会的立場や権力や、金の力や声のでかさや身なりの正しさを利用する場合が多いだろうし、人目に触れる議論というのが、そういうものが多いのだろうと思う。
妥協というのは、少なくともどちらも同じほど正しいし、どちらがどちらとはその場では決着がつかないから、この辺りで折り合っておこうという、"無駄な"自己主張を終わらせる行為ではないかと思う。
無駄な自己主張は、結果として"極めて無駄な"肉体的/精神的損傷を招きかねないし、そんな愚を犯さなければならないほど大事な自己主張というのは、そうそうないもんだ。「自分の意見は、誰かを殺してまで通すようなことではない」という前提で議論すれば、当然妥協と言うところに落ち着くものだろう。
正しさは人の数ほどある。だから、意見の交換をするのは、世界の新しい部分を見せてくれる。
議論ではなくて、意見の交換が好きだ。そこから(互いに)得られるかもしれない考えもしなかった新たな視点の存在に、いつも胸がときめく。
相手を自分の意見に納得させることを、勝負のように思っている人間こそ、野蛮ではないかと思う。白黒はっきりつけたがらない日本人は、むしろ議論そのものを避けようとするだろう。
意見の交換だけしてればいい、というわけには行かない場もあるのだと、百も承知でのたわ言。しかし一から十まですべて議論!というのが人生でもあるまい。
日本人が、議論ができない、あるいはしようとしない国民だからこそ、世界がまだ第三次大戦に突入してないんだと、ひそかに思っている。
それと、現実的な力を手に入れるためには、それ相応の努力がいるという現実を考えれば、現実の力にはきちんと価値があってしかるべきだと思う。その力を持つ人間の意見が尊重されるのは、流れとして当然ではないか。
現実の力を持っている人間が、その力に相応しくないなら、その力を取り上げることが比較的簡単だというシステムが必要なのか。
という、言ってみただけのざれ言。
逆たどりはどんなものか |
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Reply |
アカウントをもうひとつ、という手もあるなと、素敵なことを考えた瞬間、アクセス解析という面倒なものが頭をよぎる。
ちょっと試して、逆たどりができないようなら、ほんとうにオンラインブックマーク代わりにしてしまえば良い。
テクノロジー万歳。
追記
アク解にはばっちりと引っ掛かる。残念。
せっかく隔絶された、名無しの自由を満喫しているので、画像や動画を貼って楽しむことにする。ありがとう。
嫌いなものを語る |
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ばかーる |
基本的にHappy Go Luckyな人間だし、好きなもので自分を語れということに、深く同意しているので、嫌いなもののことは、特には普段口にはしない。
結局、自己主張しなければならないことなんてこの世の中にはそうそうないし、自己主張をしなければならないような状況というのも、そうあるわけでもない。世の中、どうしても発信しなければ重要なことなんて、数えるほどもないもんだ。
が、主張せずにはいられない、特に嫌いなものついて、悪し様に言わなければ気がすまないという人間が、残念ながらいるもので、しかもそれが物理的距離を取れない相手だったりすると、ありとあらゆる会話が苦痛になる。
Brittney Spearには、彼女なりのああいう生き方の理由があるのだろうし、いくら金があって有名であろうと、彼女にだって思い通りにならないものはあるだろう。というか、思い通りにならないことばっかりだろうきっと。だから、彼女のあの生き方を、悪し様に罵っても始まらない。大体、まるきり他人の彼女のあの生き方に、なぜ一体そこまで腹を立てられるんだ。
自分の生き方にもっと腹を立てたらどうだ。寄生虫そのものの生き方に、少しは疑問を抱いたらどうだ。
彼女は確かに、人さまのお手本になれるような生き方はしてないかもしれないが、あの腹を保つために1日5千回の腹筋をやってると聞く。そんなことが普通の人間にできるか? おまえにできるか? 努力がすべて成功に結びつくわけではないが、成功しているの人間は、間違いなく見えないところで汗まみれになって努力している。あるいは、努力の部分に淫している。そうしなければならないという、衝動で生きている。
衝動もなく、努力もなく、そしてその部分に思い至らないなら、成功した人間をやっかむのは、ただただ醜いだけだ。
成功した人間は、ただ運が良かっただけ、その運はきっとオレのところからかすめ取られた運に違いないという、そういう考え方は正直大嫌いだ。そういう物言いは、虫酸が走る。
努力がいやなら、そのことに胸を張れ。「努力は嫌いです」と堂々と胸を張れ。張れる胸はないが、批判と中傷は大好きって、それ人としてどうなんだ。
ありとあらゆることに趣味が悪いと、正直思ってる。趣味が合わない以前に、趣味が悪いと思ってる。あまりにも幼稚だ。何もかもが凡庸で、深い洞察も考察も一切なく、誰かが言ったそのままを口移しにして、しかも同じことを何度も何度も繰り返す。
他人に趣味を否定されれば、それを個人的攻撃と取る。他人の趣味はけなしまくる。こんなもの好きなオレカクイイは、そのメジャーな幼稚趣味では、ただみっともないだけだ。
視点は浅く狭く、懐ろはもうないに等しい。偏屈と言うよりも、ただ病的に愚かだ。その愚かさは、すでに傍にいることさえ、恥ずかしいと思うレベルだ。
好きなものを楽しそうに語る人間たちを、幸せそうだと思わないか。ああなりたいなと、そう思わないか。
楽しそうな人間たちを、「オレを踏みつけにして、おまえらだけ得しやがって」と、そういう思考回路がわからない。
世の中すべてが、自分を敵と見なして攻撃していると、そう思ってるようだが、世界はそんなにヒマじゃない。どんな人も、結局はただの人で、ただの名無しの通りすがりだ。みんなが、大抵はNobodyだ。Somedodyな人たちは、それに対して何かの努力をして、犠牲を払ってる。
特定の誰かを攻撃しようと虎視眈々と狙うほど、人たちも世界もヒマじゃない。無視されるのに耐えられないからと言って、無駄に攻撃性を突出させて無差別に周囲に当り散らすのは、病的に醜悪だ。
そうすることでしか「オレはここにいるぞ!」と表現できないというそのことを、悲しいと思わないか。
嫌いなものだけで自分を語ることを、虚しいとは思わないか。好きだというものすら、「それが好きな自分」という飾りにしか思えないその性根を、淋しいと思わないか。
自分に自信も勇気もないから、張る胸もない。顔を上げて堂々と、「オレはこれが好きだ!」と言えないことを、死ぬまでに1度くらい不幸だと思ってくれ。
自分だけで不幸になってくれ。人を巻き込むな。幸せは、自分でつかむもので、誰かが目の前に運んで来てくれるものではない。こうなれば幸せになれたはず、あるいは幸せになれるはず、と思うのは、ただの幻想だ。とっとと気づけ。
いろんなことが遅すぎるが、憎まれっ子世にはばかるから、きっと無駄に長生きするだろう。周囲の人の神経を踏みつけにして、彼らは残念ながら長生きできないだろう。
長生きする間に、自分で自分を幸せにする方法を、自分で学んでくれ。こっちに来るな。ひとはいつもひとりだ。
人は誰でも、誰かに無視されて、誰かに傷つけられて、誰かに疎まれて、誰かに嫌われて、そして誰かに愛されてる。
普通の人の命は、地球よりも確実に軽いし、不公平はどこにでもいつでも存在する。
そんなことすべてを、絶望と取るか、あるいはそれでも生きてるからいいやと受け流すか、それはその人の勝手だ。
物事に対する態度ひとつで、世界は色を変える。色を変えるのは、誰でもない。自分自身だ。自分の世界の色を変えられるのは、自分ただひとりだ。
というわけで、自分ひとりの幸せを追求している。そのことに、罪悪感を感じるつもりはない。幸せな気分を分け合いたいと、思わないでもないが、分け合ったところで、素直に受け取るとも思えないので、正直もったいない。