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嫌いなものを語る

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基本的にHappy Go Luckyな人間だし、好きなもので自分を語れということに、深く同意しているので、嫌いなもののことは、特には普段口にはしない。

結局、自己主張しなければならないことなんてこの世の中にはそうそうないし、自己主張をしなければならないような状況というのも、そうあるわけでもない。世の中、どうしても発信しなければ重要なことなんて、数えるほどもないもんだ。

が、主張せずにはいられない、特に嫌いなものついて、悪し様に言わなければ気がすまないという人間が、残念ながらいるもので、しかもそれが物理的距離を取れない相手だったりすると、ありとあらゆる会話が苦痛になる。

Brittney Spearには、彼女なりのああいう生き方の理由があるのだろうし、いくら金があって有名であろうと、彼女にだって思い通りにならないものはあるだろう。というか、思い通りにならないことばっかりだろうきっと。だから、彼女のあの生き方を、悪し様に罵っても始まらない。大体、まるきり他人の彼女のあの生き方に、なぜ一体そこまで腹を立てられるんだ。

自分の生き方にもっと腹を立てたらどうだ。寄生虫そのものの生き方に、少しは疑問を抱いたらどうだ。

彼女は確かに、人さまのお手本になれるような生き方はしてないかもしれないが、あの腹を保つために1日5千回の腹筋をやってると聞く。そんなことが普通の人間にできるか? おまえにできるか? 努力がすべて成功に結びつくわけではないが、成功しているの人間は、間違いなく見えないところで汗まみれになって努力している。あるいは、努力の部分に淫している。そうしなければならないという、衝動で生きている。

衝動もなく、努力もなく、そしてその部分に思い至らないなら、成功した人間をやっかむのは、ただただ醜いだけだ。

成功した人間は、ただ運が良かっただけ、その運はきっとオレのところからかすめ取られた運に違いないという、そういう考え方は正直大嫌いだ。そういう物言いは、虫酸が走る。

努力がいやなら、そのことに胸を張れ。「努力は嫌いです」と堂々と胸を張れ。張れる胸はないが、批判と中傷は大好きって、それ人としてどうなんだ。


ありとあらゆることに趣味が悪いと、正直思ってる。趣味が合わない以前に、趣味が悪いと思ってる。あまりにも幼稚だ。何もかもが凡庸で、深い洞察も考察も一切なく、誰かが言ったそのままを口移しにして、しかも同じことを何度も何度も繰り返す。

他人に趣味を否定されれば、それを個人的攻撃と取る。他人の趣味はけなしまくる。こんなもの好きなオレカクイイは、そのメジャーな幼稚趣味では、ただみっともないだけだ。

視点は浅く狭く、懐ろはもうないに等しい。偏屈と言うよりも、ただ病的に愚かだ。その愚かさは、すでに傍にいることさえ、恥ずかしいと思うレベルだ。


好きなものを楽しそうに語る人間たちを、幸せそうだと思わないか。ああなりたいなと、そう思わないか。

楽しそうな人間たちを、「オレを踏みつけにして、おまえらだけ得しやがって」と、そういう思考回路がわからない。

世の中すべてが、自分を敵と見なして攻撃していると、そう思ってるようだが、世界はそんなにヒマじゃない。どんな人も、結局はただの人で、ただの名無しの通りすがりだ。みんなが、大抵はNobodyだ。Somedodyな人たちは、それに対して何かの努力をして、犠牲を払ってる。

特定の誰かを攻撃しようと虎視眈々と狙うほど、人たちも世界もヒマじゃない。無視されるのに耐えられないからと言って、無駄に攻撃性を突出させて無差別に周囲に当り散らすのは、病的に醜悪だ。

そうすることでしか「オレはここにいるぞ!」と表現できないというそのことを、悲しいと思わないか。

嫌いなものだけで自分を語ることを、虚しいとは思わないか。好きだというものすら、「それが好きな自分」という飾りにしか思えないその性根を、淋しいと思わないか。

自分に自信も勇気もないから、張る胸もない。顔を上げて堂々と、「オレはこれが好きだ!」と言えないことを、死ぬまでに1度くらい不幸だと思ってくれ。

自分だけで不幸になってくれ。人を巻き込むな。幸せは、自分でつかむもので、誰かが目の前に運んで来てくれるものではない。こうなれば幸せになれたはず、あるいは幸せになれるはず、と思うのは、ただの幻想だ。とっとと気づけ。

いろんなことが遅すぎるが、憎まれっ子世にはばかるから、きっと無駄に長生きするだろう。周囲の人の神経を踏みつけにして、彼らは残念ながら長生きできないだろう。

長生きする間に、自分で自分を幸せにする方法を、自分で学んでくれ。こっちに来るな。ひとはいつもひとりだ。

人は誰でも、誰かに無視されて、誰かに傷つけられて、誰かに疎まれて、誰かに嫌われて、そして誰かに愛されてる。

普通の人の命は、地球よりも確実に軽いし、不公平はどこにでもいつでも存在する。

そんなことすべてを、絶望と取るか、あるいはそれでも生きてるからいいやと受け流すか、それはその人の勝手だ。

物事に対する態度ひとつで、世界は色を変える。色を変えるのは、誰でもない。自分自身だ。自分の世界の色を変えられるのは、自分ただひとりだ。

というわけで、自分ひとりの幸せを追求している。そのことに、罪悪感を感じるつもりはない。幸せな気分を分け合いたいと、思わないでもないが、分け合ったところで、素直に受け取るとも思えないので、正直もったいない。

そちら側で、ひとりで不幸になってくれ。こちら側で、ひとりでささやかに幸せになろうと思う。明日の朝空が青ければ、それはとても幸せなことだ。

投稿者 y6p6jr | 返信 (0) | トラックバック (0)

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