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争い

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まったく行ったこともない板やスレ同士がケンカしようと祭り見物気分くらいで終わるが、それなりに思い入れのある板やスレ同士がケンカを始めて誤解や偏見を織り交ぜて口汚く罵り合うのは、眺めてるだけで不愉快になるもんだな。

普段から思ってることだが、あそこは違う人種や民族がきちんと住み分けのルールを守ってるからこそ、それなりの平和が保ててるわけで、垣根を越えて進入と混入が始まれば大衝突は免れない。


こういう風にたとえるのはどうかとは思うが、エイズがゲイの病気だと大々的に言われてた頃のことを思い出す。

ゲイでない連中はエイズは罪深いおまえらだけの病気だとゲイに後ろ指を差し、ゲイの連中はエイズ感染の恐怖とゲイばれした時の恐怖との両方に怯えることになる。

実際には、エイズにはゲイもヘテロもない。誰だって感染のチャンスがある。感染したのは、もちろん本人の認識の甘さやら何やらあるだろうが、ほんとうに単なる不幸な事故ということもある。

個人的には、今回はゲイでない方の立場の連中が、ゲイであることがこの社会で一体どういう意味を持つのかということを一切認識しようとせずに、ゲイの連中が自分たちの言うことに従わないことに一方的に不満を抱いているように見える。

ゲイでない連中は「エイズの研究をしたいからエイズ感染してるヤツをよこせ」と言い、ゲイの連中は「エイズって言ったらゲイだってばれちゃうじゃないか」と抵抗している。

エイズの研究が遅れてみんなにエイズが蔓延し、そしてみんなが死ぬかもしれないという状況と、ゲイだとばれたら社会的に抹殺されるという恐怖と、ゲイでない連中はみんなを救うためにといい、ゲイはゲイである自分(たち)をひたすら守ろうとしている、どっちが間違ってるとも、どっちが正しいとも言えない。言ってしまったら、そのこと自体が間違いであると思う。


たかがコンピューターのウイルスとエイズを一緒くたにするなと言われそうだが、ゲイ側に当たる方が「自己保身しか頭にない病的な自己中心」と言われ悪し様に罵られてるのを見ると、向こうには「救済にはいつだって多少の(自分と関係ない他の誰かの)犠牲はつきもの」臭がぷんぷんじゃねーかと、うっかり心の中で言いたくなる。

自分(だけ)が可愛いのは、どっちの立場でも同じじゃねーか。


宗教や思想のせいで虐殺されたことがある、というわかりやすい歴史的事実が見えないせいか、日本ではゲイであることがどれだけ大変か、たとえば欧米や中近東ほどには理解しにくいのだろうと思う。

だからこそあの騒動を見ながら、「相手の立場を少しでも理解しようとしなければ無駄で口汚い言い争いになるだけ」なんだと、改めて思い知っている。

まああそこでの口汚い言い争いは、それこそただの祭りみたいなもんだから深刻にとらえる必要もないんだろう。ただ個人的に、最初は麗しい助け合いだったのに、今では素を剥き出しに醜い言葉でやり合ってるのが不愉快だと、それだけのことだ。それも、ごく一部の人間が面白がってやってるだけだと思いたい。

ああやって、人は互いに対する嫌悪を育てて行くものなんだろうか。


関係ない話。

いわゆる強姦というのを、「犬/狂犬に噛まれたようなもの」と表現することが、以前は多々あったと思うが、「だから早く忘れろ」という周囲に向かって「だったらあなたは犬に噛まれたことを忘れられるんですか」と返した強姦の被害者の女性がいた。

その時は、その女性の言うことがもっともだと思った。そして強姦という被害者の心を殺すような犯罪を、犬に噛まれたと言うのはあまりにもひどいんじゃないかと思った。

ふとそのことを思い出して、「犬に噛まれる」という表現は、それが大したことではないからという意味ではなく、「強姦とは単なる事故で被害者にはまったく落ち度がない、だって動物である犬にいやだやめろって言っても通じないじゃないか」と言う意味ではないかと思った。

ウイルス感染の恐怖に、部屋の隅でガタガタ震えながら、そんなことをつらつら考えた、日曜の夜。

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